奥さんへ

奥さん。

↓これ、みてくださいよ。

「南方マンダラ」のひとつですよ。
単純に自分の世界観を図であらわそうとしてること自体がおもしろかった。

でも、いろいろ深くとらえて、着想の根源となった菌のイメージとか、マンダラの思想が研究に与えた影響とかを後の人がいろいろ論じているみたいですよ。

google:南方マンダラ

奥さんはどんなふうに感じましたか?



此世間宇宙は、天は理なりといへる如く(理はすぢみち)、如圖(圖は平面にしか畫き得ず、實は長幅の外に厚さもある立體のものと見よ)、前後左右上下、何れの方よりも、事理が透徹して、此宇宙を成す。其數無盡なり。故にどこ一つとりても、それを數衍追究するときは、いかなることをも見出し、いかなることをもなし得るやうになつて居る。其の捗りに難易あるは、圖中(イ)の如きは、諸事理の萃點故、それをとると、色々の理を見出すに易くしてはやい。(ロ)の如きは、(チ)(リ)の二點へ達して、初て事理を見出すの途に着く、それ迄は先は無用のものなれば、用要のみに汲々たる人間には一寸考及ばぬ。(ニ)亦然り、(ハ)如きは、さして要用ならぬことながら、二理の會萃せる處故、人の氣につき易い。(ホ)亦然り、(ヘ)殊に(ト)如きは(人間を圖の中心に立として)、人間に遠く叉他の事理との關係まことに薄いから、容易に氣付かぬ。また實用がさし常りない(ヌ)如きに至りては、人間の今日の推理の及ぶべき事理の一切の境の中で(此圖に現ずるを左様のものとして)、(オ)(ワ)の二點でかすかに觸れ居るのみ、(ル)如きは、恰も天文學上或る大彗星の軌道の如く、(オ)(ワ)の二點で人間の知り得る事理にふれ居る(ヌ)、其(ヌ)と少しも觸るゝ處ないが、近處にある理由を以て、多少の影響を及すを、纔かに(オ)(ワ)の二點を仲媒として、こんな事理ということは分からぬながら、なにか一切ありそうなと思ふ事理の外に、どうやら(ル)なる事理がありそうに思はるといふ位のことを想像し得るなり。乃ち圖中の或は遠く近き一切の理が、心、物事理の不思議にして、それの理を(動かすことはならぬが)道筋を追蹤し得たるだけが、理由(實は現像の總概括)となり居るなり。扨これら遂には可知の理の外に横りて、今少く眼鏡を(此畫を)廣して、何れかにて(オ)(ワ)如く觸れた點を求めねば、到底追蹤に手がゝりなきながら、(ヌ)と近いから、多少の影響より、どうやらこんなものがなくてかなはぬと想はるゝ(ル)如きが、一切の分り知り得べき性の理に對する理不思議なり。扨て總て畫にあらはれし外に何があるか、それこそ、大日、本體の大不思議なり。

投げっぱなしでごめんなさい。