林と思想

そら ね ごらん
むかふに霧にぬれてゐる
蕈のかたちのちいさな林があるだらう
あすこのところへ
わたしのかんがへが
ずゐぶんはやく流れて行つて
みんな
溶け込んでゐるのだよ
こゝらはふきの花でいつぱいだ


「林と思想」

「蕈のかたちのちいさな林」というのは、ずいぶん意味深なコトバですよ。
キノコの群生を林に見たてたという解釈は、どうもしっくりこない(「かたち」という単語が入る必然性が見い出せない)ものだから、ここはキノコに何らかの象徴性をもたせている、とみるべきかもしれません。
そうなるといちどヘテロソフィアを勉強する必要があるかもしれない。

「わたしのかんがへが/ずゐぶんはやく流れて行つて」というのを素直に解釈すれば、それは意識の拡散であり、我々も日常で体験しうるものと思いますよ。幽体離脱じゃないですよ。
私なんかは一人で森に立てばいとも簡単に自意識を手放してしまうクチのひとで。
またたく間に意識が膨張・拡散し、最初はいいようのない不安を感じますが、慣れれば逆におもしろい。
そもそも菌を捜すという行為が、意識の拡散を伴うものなのかもしれませんよ。
胞子の濃そうなトコロを捜せ!とかいわれたら、もう胞子の気持ちになって拡散するしかないですよ。
そして菌の姿が見えたとたん、もとの体にフッと意識が収束し、その対象と向かい合う。
そんな体験は、単独で菌を捜す方なら少なからずされているだろうと思います。
それはいわゆる「詩的な表現」でもなんでもなく。
たんなる身体的感覚表現!!
まさに心象スケッチなのだとおもいましたよ。