「菌野郎」か「洟たれ小僧」か

岩波文庫版『カラマーゾフの兄弟(下)』米川正夫


だが、人間、神なしにどうして善行なんかできるだろう?これが問題だ!おれはしじゅうそのことを考えるんだ。なぜって、そうなったら人間はだれを愛するんだね?だれに感謝するんだね?
また、だれに向かってヒムン(頌歌(しょうか)=相手の功績をほめたたえる歌)を歌うんだ?
こういうと、ラキーチンは笑い出して、神がなくなっても人類を愛しうる、と言うんだが、それはあの薄ぎたい菌(きのこ)野郎の言うことで、おれには理解できない。
ラキーチンにとっちゃ、生きていくことなんかなんでもないんだ。


新潮文庫版『カラマーゾフの兄弟(下)』原卓也


ただ、神がいないと、どうやって人間は善人になれるんだい?そこが問題だよ!俺はいつもこのことばかり考えているのさ。だって、そうなったら、人間はだれを愛するようになるんだい?だれに感謝し、だれに讃歌をうたえばいいんだい?ラキーチンは笑いやがるんだ。ラキーチンは、神がいなくたって人類を愛することはできる、なんて言うんだ。しかし、そんなことを言い張れるのは洟[はな]たれ小僧だけで、俺は理解できんね。ラキーチンなら、生きてゆくのはたやすいことさ。

含蓄深いことを言ってますが、私にとってむしろここでは、ラキーチン*1は「菌野郎」なのか「洟たれ小僧」なのかということが重要な問題ですよ。

だってもし「菌野郎」だったら、ここからドストエフスキー氏のキノコ観があきらかにされるかもしれないじゃないですか。
「ハナタレ」だったとしても米川訳は名訳だと思うし、米川氏のキノコ観があきらかにされるじゃないですか。

奥さんはどっちだと思いますか?

*1:それはもう、潔いほどに軽薄で、世渡り上手な神学生。軽薄過ぎて逆に魅力的な人ですよ。