核無ノ李

〔日光驛程見聞雑記〕天保癸卯多紀安長著 〔核無ノ李〕
粕壁より西へ、二里斗りあなた岩槻領の慈恩寺といふ寺の中に、七不測ありと傳え聞、(中略)坂東十二番目の札所なり、昔此所の池に毒蛇すみて、人を腦す大師來たり玉ひて、護摩を焚ひて、これを得脱せしむ、因て一宇を創立し玉ふ、七不測は、核無の李、十二天尊の車、七つの夏島、三足の鶏、白狐、富士山の影池へ倒さまに冩る、以上七不測なり、云云(光案するに是では六不測にして七つには一つ足らず)。

李樹に異實を生ずる事に就ては

〔香宇外集〕三十四巻 〔木生異實〕
嘉靖三十年粛山の桃樹に橘生じ、上虞山の皆李樹に王瓜生ず。
諺に云はく、李樹に王瓜生ずれば千里に人家無し、寧波志に亦此載り、後海上倭寇の禍を被る。
按元順帝至正中、李の實黄瓜の如し、諺に云く、李黄瓜の如く民皆家無し、是なり。
唐太和中、成都の李に木瓜生ず、云々。

按ずるに、李の無核果に二種あり、園藝的無核果、病害的無核果、是なり、園藝的の無核李は、〔秘傳花鏡〕に『麥李紅くして甜く結實に至るもの、離核、合核、無核の異有り、』とあるものにして、タネナシ蜜柑、タネナシ柿の類なり病害的の無核李は即前記慈恩及香外集所載の李の如き是なり、是は、李の嚢果病に羅りたるを見て、核無の李と名づけしならん。
李の嚢實病[フクロミビャウ]は、子嚢菌族、裸子嚢菌科、Taphrina Pruni Tul と稱する病害にして李實の皮、肉、核の三部中核の發育全く阻害せられ、無核無種子、多肉扁長形にして稍稍王瓜[カラスウリ]、叉黄瓜[キウリ]に似たる形状のものをなすなり。