檜葉椿

〔塵添埃嚢抄〕巻第十六 〔檜葉椿[ヒバツバキ]〕弘法大師の御出家、受學の樣如何、云云延喜二十一年辛。弘法大師の謐號あり、云云槇尾に御座[井マシ]し時、云云又檜葉を以て御手を摩淨して、便宜にありける椿の上に投け撃ちて、曰く我が宿願果して遂く可んば、此葉彼木に生付べじと、被仰けるが、檜葉則椿の上に生付て、今にあり。

〔諸州採藥記〕 伊勢鈴鹿郡高宮村に、檜椿と云名木あり、椿の木に檜の葉出づる、忽て此村の椿に、檜の葉交り出るなり、弘法大師檜を椿となし玉ふと、申傳ふ由、所の者申傳ふ、予寛保年中、夏台命に依て、彼地に行、此椿御用に付、一丈斗の木貳本差上る、吹上御庭に被爲植、彼椿有し村は、東海道石藥師の驛より一里ほど江戸の方へ来れば、高宮村見ゆ。

〔美人鏡〕鑑古堂著巻五 〔檜椿〕江州白髭明神の近在に多し、勢州龜山にも出づ、又所在深山有之、枝上たまたま異葉を出だす、云云、

紀州採藥記〕小野闌山著
手水の木 陰陽茶 伊勢
熊野尾鷲邊に多し、躑足蜀、女貞、綟木等の木に多く寄生す、忽て此等の枝間より扁柏葉、或は問荊葉の如き者を生す、二三尺の小樹にもあり。

此種は、寄生植物にして、形状扁柏葉に似たるを以て、僧侶輩種々の傳説を附會して、謬信を皷吹するの材料とせり、高野山、附近にては之を手水の木と稱し、弘法大師の功徳に附會し、尾張春日井郡守山村木ヶ崎長母寺(俗に椿寺と云ふ)にては、無住國師終焉の時、檜葉を山茶[ツバキ]に投け附けたるもの生着せりと云傳へて、今尚ほ之を信仰するもの少からす、名古屋地方の一名物となり居れり名古屋大曾根長禪寺にもひのきつばきの靈木ありと云ふ、東京にては上野公園穴の稻荷の境内、及山内台徳院殿の靈廟の傍にあり、此は二代將軍の遺愛の椿であると云傳へもある、又伊勢國鈴鹿郡椿太神社の境内にも此寄生する椿ありて、アキツバキと稱せり、此種西南暖地に蕃殖する植物にして、四國九州には到る處にあり、東京附近にては房州清澄山に産し、又伊豆の七島に多し、就中大島三宅三倉の三島にては、島地産物の主位を占むる黄楊、及山茶に寄生し、大害を被らしむるにより大に嫌惡せらる方言ヤギ又ツバキヒジキと云ふ、日本の外前印度、後印度、支那、東濠州、マリチウス島、サンドウイッチ島等に分布す、此木は軸部扁平にして葉を生せず、頗るシャボテンの状に似たり、學名を Viscum japonicum Thunb 一名 V. Opuntia Thunb. と稱す、安永年間來朝の瑞典の植物學者 Karl Thunberg 氏始めて之を本邦に於て採集して、命名記載せるものに係れり。

方今此木の寄主として、植物家の間に知らるゝ樹木の種類は、大概左の如し。

ツバキ(山茶) サヾンクハ(茶梅) チヤ(茶)
サカキ(楊桐) ヒサカキ モチノキ(冬青)
ネズミモチ(女貞) ソヨゴ(細葉冬青) イヌツゲ(鑿子木)
ナヽメノキ(冬青種) ヒヽラギ(狗骨) モクセイ(木犀)
クスノキ(樟) イヌグス(橡樟) アセビ(馬酔木)
ネヂキ(綟木) スノギ(酔ノ木) ミツバツヽジ
ニハムメ(郁李) カマツカ シロバヒ
コツクバネ ツゲ(黄楊) ヤブニッケ(天竺桂)

鄭樵通志に、寄生に兩種有り、一種大者にして葉石榴葉の如し、一種小者にして葉如麻黄葉の如し、其の子皆相似る、大者蔦と曰ひ、小者女薙と曰ふとあり此種は麻黄葉の者に近し、故に本草圖譜には之を以てヒノキバヤドリギの漢名に充てたり、寄生の本質に就き、奮時の本草家間に二樣の説あり、左の如し。

〔韓保昇〕 諸樹に多く寄生あり、莖葉並びに相似ると云ふ、是烏鳥一物子を食し、糞樹上に落つ而して氣を感じて生じ、葉橘の如くして厚く軟らかく、莖槐の如くして肥え脆し、處々有りと雖も須く桑上の者なるべきが佳し、然るに自ら幡ずるに非ず、即ち以て別ち難し。

〔冠宗爽〕曰 桑に寄生す、皆言く、處々之有り、官南北に從ひて、處々得難し、豈歳々に踐み折れば之苦く、生ふこと能わずや。抑方宜く不同なるべし、若し物子鳥食し枝節の間に落ち氣を感じて生じれば、則ち麥をして當に麥を生じるべし、穀をして當に穀を生じるべし、當に一物生じるべからざらんや、是自ら造化之氣を感じ、別して是一物となる。古人惟桑上の者を取るのみ云云


小野闌山〔本草綱目啓蒙〕の所説は、左の如し。

寄生は、其木の餘氣にて生する者にして、諸木共にあり、藥には桑上の者を用ゆ、鳥他木の子を食ひ、糞樹上に落ちて生するを寄生と云に非す、保昇の説は誤なること、宗爽の辨明かなり、寄生はそれぞれの木に自ら生す、故に各木に因て葉實の形異なり、鳥の糞中の木子、樹巣に落ちて生する者あれとも、これは寄生に非す云云、

上説によれば、寄生は各木に因て形異るごとくなれども、此ヒノハヤドリにありては、然らず前記諸寄生植物上に生するもの、其形状大抵相同しければ、大に前説に反せり、然れとも天狗巣病と寄生植物との區別ならざりし時代なれば、此の如き説あるも未だ全く謬説として排斥す可らさるや論を待たざるなり。

ヒノキバヤドリギ生画像はこばしさんが撮影されたものをお借りしました。

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